17歳 8ヶ月、老衰のため穏やかに息を引きとりました。
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5月23日。ヤギミルクを飲んだ後、歩きたそうにしているので
ウォーキング用の青いプールの中に入れてあげると足腰にあまり力が入らない様子。
2〜3歩で座ってしまう。でも歩きたそうにしているバニ。
バニは歩くのがとても好きだった。
晩年は部屋の中をテクテクテクテク歩き回っていたバニ。
寝たきりになったのは最期の1日だけだった。
この日は一緒に眠りにつき、24日の早朝には自分で舌を動かして
ヤギミルクを飲むこともできていた。
その後、数時間たった頃から軽い痙攣が始まってしまった。
それから腕の中に16時間。ずっとバニと一緒の時間を過ごした。
腕の中のバニに何度も「ありがと。ありがとね。本当にありがとね。」と繰り返した。
バニに出会ってからたくさんの贈り物をバニにもらった。本当にありがとう。
16時間の間に外に出て5月の爽やかな風を感じさせてあげた。気持ち良さそう・・・。
夜には満月も見せてあげた。笑ってる・・・。
バニは始終安心したように穏やかに笑っていた。
24日夕方のバニ。腕の中で笑っている・・・
1ヶ月前くらいから食事を半分くらいしか食べられなくなり
最期の10日間は色々と試したけれど、ほとんどヤギミルクしか飲むことができなかった。
そんな生活はわたしに少しずつ心の準備をさせてくれた。
25日に日付が変わり、しばらくたった頃、人間と犬の家族全員が見守る中、
腕の中で静かに大きく深呼吸を5回。そして息を引きとった。
穏やかな天国への旅立ちだった。
バニを寝かせてお花をたくさん供えてお寺に連れて行った。
「大、大、大、大、大が10個位つくほどの大往生だね」
「人間でいったら90歳か100歳。すごいね」
「病気はしたの?」
「はい、大きな手術も3回。でも回復してくれて・・・」
「それもすごい」と住職さんの優しい言葉に思わず涙があふれてしまった。
供養していただき、その後、お骨になって家に戻ってきている。
バニがこんなに長生きできたのは、動物病院の先生方とスタッフの皆さんの
おかげでもある。
子宮蓄膿症、乳腺腫瘍、お尻のあたりにできた腫瘍と3回も病気で
大きな手術を経験している。
2歳の頃には帝王切開で子供も産んでいる。
不整脈もあり心臓のお薬もかなり長い間飲んでいた。
それなのにその度に体力が回復してくれて、こんなに長生きすることができた。
お世話になった動物病院の先生方とスタッフの方々の日々のケアに
深く深く感謝の気持ちでいっぱいだ。
バニを家に迎えたのはバニが1歳を過ぎた頃のことだった。
海外のファッション誌にモデルとして出ていた犬を見て、この犬種は何だろう?と
最初は犬種の名前も知らなかった。ジャックラッセルテリアだった。
どうしてもジャックラッセルテリアを飼いたくなり、各地の犬舎を探しまわった。
当時、ジャックラッセルテリアは日本では珍しい犬種で頭数も少なかった。
三重県の犬舎に連絡すると10数頭いるとのこと。
早速、次の日に迷わず新幹線に乗り込んでいた。
ジャックラッセルテリアは元気で活発ということは知っていたものの
犬舎で次から次へ連れて来てくれる子達は、こちらを見向きもせずに
ただただテーブルの周りをものすごい早さで走り回っている。
「うわ〜、溶けてしまいそうに早い! こんなに活発な子は無理そう〜」と思っていると
犬舎の方が、こんな子もいますよと最後に連れてきてくれた子。
その子は部屋を半周テクテク歩いてわたしの膝の上にちょこんと乗って来てくれた。
それがバニとの最初の出会いだった。
この子かわいい・・・。連れて帰りたい・・・。少し考えたもののほとんど即決だった。
そのまま新幹線で家に連れて帰ってしまった。
新幹線の中ではブルブル震えていたバニ。
「大丈夫だよ〜」と頭をずっと撫でていた・・・。
バニはオーストラリアで生まれて、10ヶ月のころ日本にやって来た。
その後、犬舎に2ヶ月くらいいたそうだ。
我が家にやって来たのは1歳ちょっとの頃なので、
それ以前の生活は、きっと色んなことを経験したんだろうなと想像するしかない私たち。
そんなせいかバニはとても自立心があり、
どんな子とも仲良くできる自由を愛する子だった。
狭い所に入れられるのも好きではなかった。
きっと広々とした所にいつもいたんだね。
長野のペンションにて看板犬のオールドイングリッシュシープドッグと挨拶するバニ
自立心旺盛のバニは、来たばかりのころ公園で離すとスタスタ自分の好きな方へ
どんどん行ってしまう。
この子を離すのは危険だ。あまりにも自由・・・。そんな子だった。
バニと一緒の生活が始まると、バニのためのグッズを探し始めた。
でも、なかなか気に入る物が見当たらなかった。
その頃は犬グッズもまだまだ少なかったのだ。
「世の中にあまり好きな物がないなら自分たちで作ろう!」
当時務めていた会社の同僚で犬好きの友達と意気投合。1998年のことだった。
こんな素材を使ってこんなデザインはどう?
あーでもない、こーでもない、あーしよう、こーしよう!と
とても楽しく犬グッズを作り始めた。
友達の犬の名前はSYUNA。
二人の犬の名前から「SYUNA & BANI」というブランド名に決めた。
これが「SYUNA & BANI」の始まりだった。
最初はデザインフェスタに参加し、商品を展示販売することから始まり
世田谷にあった素敵なスペースを借りて定期的に展示会をするようになった。
商品も揃ってきたし、ショップができるかもとわたしは家にも近い吉祥寺で
店舗スペースを探し始めた。
井の頭公園にほど近い今のスペースに出会い、
2000年3月にショップをオープンする事ができた。
バニはとても素敵に看板犬をこなしてくれた。
お店は2階にある。階段の上の踊り場にちょこんと座り下の道を歩く人を見つめている。
お客さまが上がって来てくれると「どうぞ。お入り下さ〜い」と
静かにお客さんを迎えるバニ。
ワンちゃんが上がって来てくれると、とても嬉しそうに挨拶をしていた。懐かしい・・・。
バニは、わたしに犬グッズを作ること、ショップを経営すること、
色々なことに導いてくれた。
そして多くの友達との出会いやたくさんのお客さまとの出会い、
素敵な犬達との出会い・・・
本当にたくさんの素晴らしい出会いをプレゼントしてくれた。
バニはわたしの人生を大きく変えてくれた。
この小さな命に感謝せずにはいられない。
バニは2歳の時に娘と息子を出産し家族が増えた。
男の子はロケット。女の子はドナと名付けた。
バニは子供を産む前は声すら聞いたこともないくらいジャックラッセルテリアとしては
とてもおとなしい子だった。
ロケットとドナを産み、守る命ができた時、初めてバニの声を聞いた。
良かった!声を出せるんだとホッとした。
そして子供達が成長し、ドナがジャックラッセルテリアの男の子のロビーくんに出会い
2頭の間に5頭のベビーが産まれた。
スクービー、ドゥービー、アイビー、サンクサンク、アーウィーの5頭のバニの孫たち。
アイビーとサンクサンクはお父さん犬のロビーくんと楽しく暮らしている。
ドゥービーとアーウィーは我が家で一緒に暮らしている。
スクービーは生まれつき体が弱く、4歳になってすぐに天国に旅立った。
だからバニは今、スクービーと一緒にいると信じている。寂しくないよね。
スクちゃんもバニにいっぱい甘えてね。
先に旅立った友達犬シュナたちにも会えたかな。会えるといいな。
バニがいなくなった生活は、どこか大きな柱がなくなったような感じで、
やはりバニの存在は大きかったんだとつくづくと思う。
みんながバニを頼りにしていた。
我が家の犬達のうちドゥービーはものすごくバニのことが好きだったので
とても寂しそうにしている。
最後にお別れを言ってと伝えるとトボトボ頭を下げながら寂しそうにやって来て
バニにクンクンクンクン・・・
またトボトボとハウスの中に入ってしまい出てこなくなってしまった。
ケアしてあげねば・・・。
1週間経ってやっと少し元気が出てきたかな・・・。
バニのいない生活は寂しいけれど、ロケット、ドナ、ドゥービー、アーウィーの
4頭がいてくれると自然に元気が出て、悲しんでばかりはいられないという状況が
自然と生まれてくる。
そしてお店に来てくださるお客さまやワンちゃんたちからも、
たくさんの元気をもらっている毎日。ありがとう。
バニが導いてくれた犬達との生活、
そして「SYUNA & BANI」というブランドとショップを
これからも大切に育てていこうと思っている。
バニ、ありがとう。そして空の上から見守っていてね。
また逢う日まで・・・。
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先日より多くの方から暖かいメッセージをたくさんいただき、
また、ご心配していただきまして、本当にありがとうございました。
25日から1週間があっと言う間に過ぎてしまいました。
ブログでお伝えするのが遅くなってしまい申し訳ございません。
皆さまからの暖かいお気持ち、心より感謝し、お礼を申し上げます。